■出エジプト21:5しかし、もし、その奴隷が、『私は、私の主人と、私の妻と、私の子どもたちを愛しています。自由の身となって去りたくありません』と、はっきり言うなら、21:6その主人は、彼を神のもとに連れて行き、戸または戸口の柱のところに連れて行き、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。彼はいつまでも主人に仕えることができる。
★主人の愛を前提として、いつまでも主人に仕えたい、去りたくないとは、まさにキリストとキリスト者との関係です。これ以降有名な「目には目。歯には歯。手には手。足には足。」と続きますが、これは報復を正当化する基準ではなく、犯罪に対する罰としての裁判の基準です。また主は弱い立場を守るために心を尽くされます。「自分の男奴隷の歯一本、あるいは女奴隷の歯一本を打ち落としたなら、その歯の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。」と言ったこともその一つです。人権を軽んじる者を主は裁かれます。
■ルカ6:41あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
★イエス様は、悪事に対して見ないふりをすべきであるといっておられるのではなく、自分の罪を見落とすほど、他の人の罪を気にするべきではないと言っておられる。私たちはしばしば他の人の同じ過ちを指摘して、自分の罪を正当化する。お互いにとって最も批判しやすい「ちり」は? 批判したくなったとき自分のを梁を認めることのできる人はさいわです。いってらっしゃい。
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