火曜日, 9月 18, 2012

20120918_エゼキエル23-24

■エゼキエル23:49あなたがたのみだらな行いの報いはあなたがたの上に下り、あなたがたはあなたがたの偶像の罪の罰を負わなければならない。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。」
★読み進む私たちの方が気が重くなり、目を背けたくなるような、イスラエルの偶像にうつつを抜かすありさまです。この時もある意味終わりの時代でした。そして今また終わりの時代です。心を確かにし、努めて祈り、お互いの身をきよく保ちましょう。「万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。」(一ペテ4:7)とある通りです。

■エゼキエル24:18その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。
★預言者エゼキエルの妻が息を引き取りました。その時深い悲しみの中においても、エゼキエルは神様のことばに従いました。その生き様は偶像に心を焦がすイスラエルにどのように映ったことでしょう。私たちはエゼキエルのように、気乗りするときも、しないときも、神様を畏れるがゆえに、変わらない姿勢をもって神様に仕えているでしょうか。回りではなく自分自身を問い、自分の果たすべき責任を淡々と全うする預言者の姿から学びましょう。ヒデ

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