★人は自分の罪深さ、汚れを誤魔化し、自分でそれを隠し、被おうとしますが、主はそれを完全に癒やすため関わり、ご自身主であることを明らかにしようとなさいます。
■エゼキエル14:3「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。
★イザヤ書59:1-2に「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」と記されていることを思い出します。
■エゼキエル15:2人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。15:3その木を使って何かを作るためにその木は切り出されるだろうか。それとも、あらゆる器具を掛けるためにこれを使って木かぎを作るだろうか。
★実を結ぶためにかたちづくられたブドウの木。実を結ばなければ、他には何の役にも立ちません。柱にすることもできなければ、道具かけにもできません。同じように、主の民がその目的を果たし得なければ、何の役にも立ちません。イスラエルの民はその目的を受け取る事を拒み自分勝手に進みました。あなたが生かされ贖われた目的はなんでしょう。ヒデ
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