月曜日, 5月 26, 2014

20140526_出エジプト5 マタイ25@1-30

■出エジプト5:2パロは答えた。「【主】とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は【主】を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
★モーセが主の命を受けて民を去らせよと語った時のパロの応答です。「主とは何者か。主を知らない」とは、「私こそが主ではないか。私以外に主はないではないか」の意味で、それをイスラエルに受け取らせるためにパロは高圧的な虐げをもってイスラエルを苦しめます。御心をなそうとすることを止めれば、迫害虐げ反発の波は起こりません。しかしそれでは何も変わりません。主の僕として召しだされたお互いは、どんな時にも主の御心に沿おうとする自分自身の変革を諦めてはなりません。

■マタイ25:24ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。25:25私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
★あなたが自分の人生を神様から与えられたことを感謝して受け取る前に、人と較べたら、喜びは消え、劣等感か、優越感に支配され、神様に反発し、人と距離を置き、人生を呪いながら生きることになります。神様は全能者である以上に愛なるお方。もし納得できないことがあるなら、人にではなく神様に直接その思いをぶつけてみましょう。それが祈りです。どんな状況の中にあっても、あなたがその与えられた人生を受け取る時、神様が共に歩み、あなたを助けて下さいます。いってらっしゃい。

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