■創世記43:14全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」
★今度穀物を買いに来るときには末の子ベニヤミンをつれて来なければ私の前に立つことができない。あなた方はエジプトを伺うスパイダ。そうエジプトの宰相に言われて、もっと早く食料を買いに行かなければ。ヤコブ一族の食料は既に底を突いていました。しかしヤコブにしてみればヨセフとベニヤミンは最愛の妻ラケルから生まれた子供。そしてヨセフを失ったばかりか今度はベニヤミンさへ失おうとしているとは。しかしこの時がヤコブの愛情の聖別の時でした。アブラハムの時はイサク献祭でしたが、ヤコブにとってはこの場面です。そもそもヨセフへの溺愛を通してヤコブが引き起こした罪を神様はこうした形で精算させ、イスラエルに新しい一歩を与えられます。ただ恵みと憐れみです。
■マタイ16:18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
★「あなたは私を誰とするか」とのイエス様の問いに、ペテロが「あなたこそ生ける神の御子キリストです」と答えた、その応えとして主が語られたのが上の御言葉です。教会を建てられるのは誰でしょう。牧師?役員会?違います。主です。では私たちは何をすれば良いのでしょう。教会をすれば、教会として生きれば良いのです。教会として生きるとは、互いに赦し合い、愛し合い心を合わせて祈りの中に歩むのです。あなたが召しだされた教会ですよ。教会はあなたを待っています。いってらっしゃい。
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