金曜日, 8月 31, 2012

20120831_エレミヤ18-22


■エレミヤ18:6「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。──主の御告げ──見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。
★このお方の御手の中に落ち込むことが祝福であることを信じて落ち込むか、あるいは何とかこのお方の御手から逃げ出し、結局は自分の思い道理に道を付けて肉策我策を繰り返す羽目になるか。二つに一つです。

■エレミヤ19:15「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『見よ。わたしはこの町と、すべての町々に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじのこわい者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。』」。
★霊に蒔けば命を、肉に蒔けば滅びを刈り取ることになります。神様の御声に聞き従うことにまさる種まきはありません。

■エレミヤ20:14私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。
まさか神の人エレミヤがこんな言葉を語るとは、しかしこれほど霊の戦いとは預言者の上に重くのしかかるものであることを覚えましょう。

■エレミヤ21:8「あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。
★選ぶのはあなたです。神様への従順の道があなたには見えていますか。

エレミヤ22:21あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。
★指摘された時が止めるとき。それを可能とするのは十字架を通してあなたの心に注ぎ込まれる主の愛。主こそが唯一あなたを恵みによって変えることのできるお方です。ヒデ

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