木曜日, 8月 09, 2012

20120809_2列王記20-22

■2列王記20:19ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからである。
★必至の主への懇願によって奇跡的に寿命が15年も延ばされたヒゼキヤ王。ただ神様の憐れみ深さを思います。しかしヒゼキヤ王は、それで私は特別と誇り、パビロンからの使者に自分の力を見せつけようと、宝物倉の全てを見せ、その力を顕示するのです。預言者イザヤはその愚かさを指摘し、全てがバビロンに取り去られ、ヒゼキヤ王の息子の中からさえ宦官としてバビロンで仕えさせられるようになると預言します。その時イザヤの言葉に返してヒゼキヤの語った言葉が上の言葉です。自分の時代のことしか考えないそこには愚かさが。神様の特別な恵みを受けた身であるにも関わらず残念です。

■2列王記21:3彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。
自分の時代さえよければそれでいいと思っていたヒゼキヤに育てられたマナセ王がしたことです。父の愛が流れてなかったのです。権力は人を眩ませ、本来すべきことを人に見誤らせます。次の世代に愛を注ぎ育てる事こそヒゼキヤ王のなすべきことでした。

■2列王記22:13「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行わなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。」
★そう、神の御心を尋ねることは神のことばを聞くことからはじまります。南ユダ王国で神の言葉(旧約聖書)が発見されたことは幸いでした。ヒデ

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