木曜日, 8月 02, 2012

20120802_2列王記1-3

■2列王記1:2さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい」と命じた。
★悪王アハブの後、北イスラエルの王となったアハズヤ。病の時に、なぜ主ではなくエクロンの神バアル・ゼブブに伺いを立てに使者を遣わすのか。それが問題です。自分の中に負い目がある時、人は主に近づき難くなります。しかしその時こそ、十字架の血潮を仰ぎ、赦しを受けとって主の御声を聞くのです。それ以外、命に至る道はありません。

■2列王記2:23エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、2:24彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。
エリヤの霊を受け継ぎ、多くの慰めに満ちたわざを行ったエリシャ。なぜこんなことが起こるのか。許されるのか。わかりません。しかも小さなこどもの言葉です。その上で言えることは、不遜さから発する言葉は、どんなに幼くても、その自身がその言葉の責任を負うと言うことです。

■2列王記3:10それで、イスラエルの王は、「ああ、主が、この三人の王を召されたのは、モアブの手に渡すためだったのだ」と言った。
★偶像礼拝に心が支配されている時、人は希望を持つことができません。偶像は人に真の希望を与え得ないことを覚えましょう。あなたの人生を導き、それを完成に至らせて下さる神様は、紅海を二つに分け、キリストを死人の中から甦られて下さった神様です。ヒデ

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