日曜日, 11月 27, 2011

20111127_エレミヤ15_ヨハネ15

■エレミヤ15:16私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。15:17私は、戯れる者たちの集まりにすわったことも、こおどりして喜んだこともありません。私はあなたの御手によって、ひとりすわっていました。あなたが憤りで私を満たされたからです。
★預言者エレミヤが神様の言葉に対していかに関わろうとしていたかが明確にあらわされた箇所です。エレミヤは御言葉が自分の血となり肉となるようにと深く黙想したのです。味わいましょう。あなたの内に御言葉によって信仰が芽生えるまで。

■ヨハネ15:4わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。15:5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
★キリスト者にとって「キリストにつながる。キリストにとどまる。」とは成熟の生涯のために非常に大切なメッセージです。なぜならキリスト者は自分の力で御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、忠実、柔和、自制」を結ぶことができないからです。私ではなく、キリストです。そうは言いつつも自分がときどき見え隠れする人がいます。そうではなく、自分を十字架につけ、キリストの栄光を慕い求めつつ父なる神様に栄光をお返しする生涯を全うしましょう。ヒデ

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