火曜日, 11月 22, 2011

20111122_エレミヤ1_ヨハネ10

■エレミヤ1:11次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」1:12すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」
★「私はあなたを万国の預言者とした」と、主が召し出された、若き預言者エレミヤに語られた言葉です。「あなたは何を見ているのか」と問われますが、それで人の関心がどこにあるかが分かります。ある人は貯蓄・金融関係に。またある人は芸能関係、さらに健康、趣味・娯楽、政治・世界情勢と。その中でエレミヤは「見張り」の象徴的意味を持つアーモンド「神様の経綸・計画」に目を留め関心を払っていました。昨日も「夜が来る。すると誰も働けなくなる」との主の御声を聞きました。いま生かされている命は恵みによって頂いている命です。チャンスを生かし天に宝を積む業に生きるものでありましょう。

■ヨハネ10:37もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じないでいなさい。10:38しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」
★主を信じず、殺そうする宗教指導者たちに主が語られた言葉です。彼らはイエス・キリストが主張する「私と父とは一つである」が受け入れられないのです。すなわちそれはイエス様の神性・イエス様が神様であることが受け入れられないと言うことです。常識で考えても、たとえ非常識に立って考えたとしても、確かにあり得ないことです。しかしそれが、おこったのです。ただ神様が愛、一人も滅びることを願わないお方ゆえです。キリストの言葉と行いがもう一度神様から出たものかどうか目を閉じ黙想してみましょう。ヒデ

0 件のコメント:

コメントを投稿