■1テモテ1:15「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
★人が栄光から栄光へときよめられるのは人の努力によるのではありません。主の愛への感謝があなたをきよくするのです。もし「あなたは罪人ですね」と言われたら、何と応えるでしょう。願わくはあなたの答えが「はい、そのとおりです。」でありますように。
■1テモテ2:1そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
★人が罪人であるあらわれの結果として、一番そのことがよく現れるのはどこでしょう。権威者との関係です。罪人は自らを権威者としたがります。自分を一番上の権威としたいからです。あなたの霊は既に癒されているでしょうか。私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすために、この取り扱いは必須です。
■1テモテ3:6また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。3:7また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。
★教会外の人に評判がよい。これはあなたにとって大切なことです。あなたは世に遣わされていますか。そこで遜って人を祝福しているでしょうか。サタンからの高慢の誘惑を砕きましょう。ヒデ
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