土曜日, 3月 10, 2012

20120310_マタイ20-21

■マタイ20:12言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』20:13しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。20:14自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
★聖書にあらわされたキリストの人格に関して、個人的には最もひかれる箇所です。働きたくても働けない人のためには、一日1デナリ、すなわち人が生きていく上で必要なものは与えられるべきである。そして強い人には「友よ」と語りかけ、父なる神様の心を共有して欲しいと願われる主。このお方にお仕え出来る光栄を覚えます。

■マタイ21:27そこで、彼らはイエスに答えて、「わかりません」と言った。イエスもまた彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。
★イエス様の問いかけに「わかりません」と答えた祭司長、民の長老たちは、なぜそのように答えたのでしょう。それは立場の弱い人を守るためでも、真理を重んずるためでもなく、ただ自分たちの立場を不利な状況に置きたくなく、自己弁護、自己義認に生きるためでした。要するに彼らはただ卑怯だったのです。自分の立場が悪くなると逃げるよりも、むしろ真実や本質が明らかになる中、変わらなければならないのが自分であることに気づかされたなら、その中に飛び込み、主が憐れみ自分をどのように作り変えて下さるのか、信頼して主の御手に自らを委ねる者でありたいものです。ヒデ

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