土曜日, 3月 03, 2012

20120303_詩篇124_2コリント12-13

■詩篇124:2「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、124:3そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、124:4そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。
★「もしも主が…」との前提に立って主の恵みを確認しょうとする筆者の心がよく表されています。ややもするなら神様の恵みを、当たり前の事としてしまいがちなお互いにとって耳を傾けるべきメッセージではないでしょうか。あなにとって心に刻むべき「もしも主が…」とは何でしょうか?

■2コリント12:6たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。
★主を知らない場合、人の前に自分をより大い者として見せたい、これが多くの人が抱く価値観ではないでしょうか。しかしパウロは「過大に評価されることかないように」でした。ここに本当は人を自由にする秘訣があるのです。あなたはすでにありのままを生きる自由を体験していらっしゃいますか。

■2コリント12:8私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。
★不思議です。真理は一度人を縛り不自由にします。真理が自分の外にあるからです。しかし、真理を受け入れたなら、人は真理で守られ、強められ自由を生きれる者となります。あなたはこの奥義をお分かり頂けますか。ヒデ

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