金曜日, 3月 02, 2012

20120302_2コリント8-9

■2コリント8:9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
★パウロはこの章で献金について勧めますが、多くの場合、人は献金の趣旨を誤解しています。天地宇宙、すなわち全てのものの所有者であられる神様は、僅かに持つ私たちの財をむしり取るように奪って喜ぶ悪代官ではありません。むしろ多くのものを与えたいと願う父の心を持つお方で、沢山委ねてもそれを正しく管理し、祝福に変えることのできる人を献金の姿勢を通して探しておられるのです。お金は魔物です。ゆえに金におぼれて一生を台無しにする人がいます。しかし本当のところは人を幸せにするためのひとつの道具です。ならば道具に使われ、道具に飲まれるのではなく、道具として使いこなせなければなりません。父なる神様の心を受け取りましょう。

■2コリント9:6私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。9:7ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。9:8神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
★8章のお勧めの裏付けとも言えるパウロの勧めです。少しだけ蒔く、豊かに蒔く……と、8章とは視点を変えて、収穫を願って種を蒔く農夫に譬えて表現します。いずれにしても与えることを通して与えられる祝福の法則は共通です。主はマラキ3:10で「ためしてみよ」と語られました。試す動機は喜んでの自発です。ヒデ

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