土曜日, 10月 11, 2014

20141011_民数記13 ピリピ1

■民数記13:32彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。13:33そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
★モーセによって約束の地に偵察に行った斥候たちの答えです。ただ一人カレブだけが「よい地です」と答えましたが他のメンバーは、上の御言葉の通りです。ここから人の目に映るものは単に目で見るだけではなく、みなその人の心で見ていることが分かります。ここに内面が神様によって癒され、整えられ、強められる必要性があります。そうでなければ人はチャンスも乗り越えられない絶望の壁にしてしまうのです。

■ピリピ1:20それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。1:21私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
★主にあって成熟したキリスト者がこころの内に抱く思いがこうしてパウロによって明確に記されました。まさに礼拝とはライフです。儀式にしてしまおうとするスイッチが心の中にあるならそれを壊しましょう。自由はそこから始まります。

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