土曜日, 4月 12, 2014

20140412_創世記12 マルコ9@1-29

■創世記12:4アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。
★主の「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」との言葉への応答としての行動です。祝福はまず、世からの分離からスタートします。分離され神様にまで聖別され、そして新たに世に遣わされるのです。あなたは一度神様にまで聖別された経験をお持ちですか。

■マルコ9:23するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」9:24するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
★主からの祝福を受け取るに妨げとなるのは能力や熱心のなさではなく、不信仰に心が支配されることです。主はかつてご自身の言葉によって天地を造られたお方。できないことは一つもありません。主はご自身に近づく者の不信仰に光を当て、悔い改めへと導き、回復された信仰のパイプを通して、あなたの心と生涯に祝福といのちを注がれます。そのパイプは神様に直結するのです。神様にはできないことは一つもありません。

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