★ヘロデヤの娘が舞いをまったとき「願う物は何でも必ず上げる」と、誓ったヘロデ王に「バステスマのヨハネの首を」と語られた時のことです。自らを王としこの世を愛するとき、自らがたとえ願わなくても、やがて神の言葉を自ら退けざるを得ない時が来ます。それは滅びを意味します。だからこの世を愛し、自らを王としてはならないのです。
■創世記44:33ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。
★エジプトの宰相の前でベニヤミンのために執り成すユダの姿です。まさかエジプトの宰相が、泣き叫ぶのに自分たちがエジプトに売った弟ヨセフだとは知る由もありません。自分の命を懸け、ベニヤミンを守ろうとするユダの姿に、ヨセフは悔い改めの心を見、慰められます。
■創世記45:2しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。45:3ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
★ユダの悔い改めに触れた時、ヨセフは自分を抑えることができず、今までの悲しみが溢れ出たのです。本当の悔い改めこそが、傷んだ人の心をいやします。しかし悔い改めは自分を守りつつ行うことはできません。だからこそ心の貧しい人は幸いです。その人でなければ真の悔い改めをすることができないのですから。ヒデ
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