木曜日, 4月 18, 2013

20130418_マタイ13@24-43 創世記42-43

■マタイ13:29だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。13:30だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』
★間違って麦を抜いてはならないとの最大限の配慮をなさる主人の姿がここにあります。合わせて毒麦となるか、よい麦となるかをその人自身に委ねられている主人の姿も。あなたが注意すべきは、あなたを毒麦に感化された者としようと企む敵がいることです。敵が蒔くものに反応する自分がいることに気づいたなら即座に主のもとにもって行き告白し捨てることです。与えられているチャンスを失ってはなりません。

■創世記42:18ヨセフは三日目に彼らに言った。「次のようにして、生きよ。私も神を恐れる者だから。
★自分をエジプトに売った兄たちとの再会です。神様がこのことをなさったのです。なにをもってしても癒され得ないほどの傷を負わされたヨセフ。しかし彼は「私は神を畏れる者」と、兄たちを試み、仕返しをしようとする誘惑に終止符を打ち、神様の憐れみを示します。これこそが神が共におられることを常に選び取るヨセフゆえにできたことです。

■創世記43:14全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」
★この時やっとヤコブの息子ヨセフとベニヤミンへの溺愛の情の聖別ができました。そもそもヤコブの息子への偏愛が他の息子達に妬みを生じさせヨセフをエジプトへと追いやったのです。なんという神様の憐れみに富むご計画でしょう。ヒデ

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