土曜日, 4月 13, 2013

20130413_マタイ10@24-11@1 創世記31-33

■マタイ10:29二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
★神様それ一匹では商売にならない雀さえも顧みておられるお方。どうしてあなたを顧みてくださらないはずがありましょう。このお方にこそ最も深い信頼をよせ、歩むところに祝福があります。

■創世記31:36そこでヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに口答えして言った。「私にどんなそむきの罪があって、私にどんな罪があって、あなたは私を追いつめるのですか。
★ラバンの側に落ち度があると思えばヤコブのこの態度です。全ての人が決してこの様に振る舞うわけではないでしょう。ここに押しのける者ヤコブの性質が如実に表れています。

■創世記32:27その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
★神様にしか触れることのできないもものつがいと言えるでしょう。彼の押しのけようとする罪深い自我が砕かれイスラエルと変えられた瞬間です。神様は人を変えることのできるお方です。またこのお方によってさえ変えられることがないとするなら、その人は永遠に変わることはないでしょう。神様の恵みをむだにしてはなりません。

■創世記33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★方策ではありません。人が砕かれへりくだる者とされることこそが、和解に真に必要なことです。ヒデ

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