木曜日, 4月 04, 2013

20130404_マタイ5 創世記13-15

■マタイ5:44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
★イエス様が語られた山上の説教の中でも最高の基準の新しい戒めと言えるでしょう。なぜならこの戒めに生きることは1.神様からの罪の赦しの体験。2.他者への理解。3.自分自身に対する正しい理解がなければとても出来ないことだからです。
 
■創世記13:4そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。
★神様の御声を聞いて新しい一歩を踏み出したアブラムが最初に為したこと、それが祭壇を築き神様に礼拝をささげることでした。慈しみに富む全能者によって導かれる間違いのない選択です。
 
■創世記14:23糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。
★私を導き、祝福して下さるのは神様であるとのゆるぎないアブラムの自覚が現されたところです。人は自由意志で選択できることの中で、誘惑を受け、そこで何を選択するかによってその人自身をあらわすことになります。
 
■創世記15:2そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
★アブラム夫妻にとっていちばんの憂いは子どもが与えられていないこと。それゆえに、神様を信じて生まれ故郷を離れてまで一歩を踏み出したのです。そして今この夫妻に迷いが生じます。でも神様はその事をよく知って下さり最善の方法で願いを叶えて下さるお方です。ヒデ

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