月曜日, 5月 20, 2013

20130520_マルコ3@20-4@9 レビ23-24

■マルコ3:35「神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
★主は肉の家族を否定なさったのではありません。むしろその家族の中に弟子たちを招き入れられたのです。あなたは教会の交わりを重んじても、肉の家族との交わりを軽んじていると言うことがありませんか。

■レビ記23:3六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。
★主は民が自分のわざにではなく、神様が彼らのためにして下さったことに感謝する特別な日を確保するようにと語られます。ここに聖別がなければいつの間にか人は自からを神とし、結果滅びを刈り取るのです。

■レビ記24:19もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同じようにされなければならない。24:20骨折には骨折。目には目。歯には歯。人に傷を負わせたように人は自分もそうされなければならない。
★個人的な報復の承認ではありません。裁きの規則です。実質的に刑罰は犯した罪に見合ったものであるべき事を教えます。しかし人はそれを越える誘惑に駆られます。それが人の中にある罪性で、ここからの解放のために主は十字架の上でいのちを捨てて下さいました。ヒデ

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