2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
★教会の指導者であったペテロでさえもユダヤ人の評価をおそれて、人の救いにはキリストだけで十分との立場から一歩後退します。それが間違いであることをハッキリと指摘した後、パウロは自分の信仰を告白します。それが上記の告白です。唯一キリストにあって死に、キリストによって蘇らされた者として生きる。お互いもいつの間にか福音に余計なものを付け福音の輝きを消すことがありませんように。
0 件のコメント:
コメントを投稿