月曜日, 4月 10, 2017

20170416_マルコ16

■題名 ここにはおられない
金言 「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない」。(6)
★イエス・キリストの復活を思い返すとき決して忘れられない思い出がよみがえってきます。それは人生の迷いのゆえに入信してしまった統一教会から、故森山諭先生の説得によって何とか間違いに気づくことができた間もないときの聖地旅行の思い出です。キリストを救い主として受け入れつつも、なおカルトの後遺症のリハビリのためにもと、家族の愛に押し出され一緒にバプテスマの恵みにあずかった父とともに、森山先生が団長を務めてくださる聖地旅行に参加することがゆるされました。
ひとつひとつ訪れる場所で、先生は主がなしてくださった恵みのわざを紹介してくださいました。と同時にその旅の中で、主が私にも触れてくださり、私は自分の心が癒やされてゆくのを感じました。やがて到着した園の墓での出来事です。「ここと断定できる訳ではないかも知れないが、この様な岩を切り出して作った墓に、十字架から取り下ろされた主の体は納められたのです」と、ここでも先生は短く恵みを紹介してくださいました。
幸いにもその日は訪問者が少なかったようで、墓の中に入る機会が与えられました。順番が来て中に入ったとき、私は何とも言えない感情に捕らわれました。「私の罪が、主を十字架につけたんだ。こんな冷たいところに納められたのか」。気持ちは重くなり、良心が責められる思いでいっぱいです。しかしいつまでもそこに留まっている訳にはいきません。入口には次の人が待っています。重い心のままでしたが、出るために体の向きを変えたその瞬間、扉の内側に記された御言葉が私の目と心に飛び込みました。「He is not here, but is risen!」(ルカ二四・6)。私の心は一瞬に希望と確信へと変わりました。主はよみがえられました。主はよみがえられました。本当に主はよみがえられました。ハレルヤ!
(祈り)主はよみがえられましたから、どんな時にも絶望の淵にとどまる必要のないことを感謝します。
新聖歌 一二七

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