■2サムエル6:16【主】の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が【主】の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。6:20ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。」6:21ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで【主】の民イスラエルの君主に任じられた【主】の前なのだ。私はその【主】の前で喜び踊るのだ。
★痛んでいる者の言葉です。しかしその刈り取りは自分の生涯で求められます。サウルの娘ミカルには死ぬまで子どもをもうける機会が与えられませんでした。
■2コリント6:12あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。
★人生の基準を物事が正しいかどうかではかろうとする律法主義者が陥る罠です。主は「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。確かに、今は恵みの時、今は救いの日」と語られます。正しいかどうかよりも、私は今確かに、主に繋がり、人生を感謝しようとしているかどうかを人生の基準として歩みましょう。
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