■1サムエル26:8アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません。」26:9しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。【主】に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」
★サウル王はあの洞穴で命を奪われなかった件で、ダビデに殺意がないことを十分に受け取ったはずではないのでしょうか。しかし、改めてダビデの命を奪おうと進軍します。そうした中まさか、ダビデが寝床に訪れ自分の剣を持ち去ることを通して殺意がないことを示すとは。最も強力な倫理的決断は誘惑が襲ってくる前になされます。あなたならアビシャイの様に今こそとサウル王の命をとりますか。それともダビデのように王に油注がれたものの命をとることを畏れますか。親友が一見正しく見える助言をしたとしても、神様のご命令を第一としなければなりません。
■1コリント12:26もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
★人と交わらないキリスト教はありません。私たちは他の人の生活に共に関わり合うように召されています。2つの偽りに注意しましょう。自分の能力を誇ること。自分には兄弟姉妹たちに与えるものは何もないと思うこと。他者との違いを喜び、与えられた賜物をもって仕えることができる人は幸いです。
0 件のコメント:
コメントを投稿