火曜日, 9月 27, 2011

20110927_ピリピ3

■ピリピ3:11どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。3:12私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。3:13兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、3:14キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。3:15ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。3:16それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。3:17兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
★獄中にあっても「常に喜んでいなさい」とピリピのクリスチャンを励ます、ここに成熟した信仰者のあり方がパウロによって記されます。多くの牧師は「私を見てはいけません。主を見ましょう。」とよく語ります。しかしパウロは「私を見ならうものとなってください。」と逃げません。ここから主を信じるとは、ことばではなく生き方であることを感じます。「私は既に得たとは思っていない。ただキリストの復活にあずかるために捕らえようと追求しているんだ」と言うパウロの直向きさ、それが成熟した者の生き方です。主の恵みの中で歩ませて頂くよう悔い改め、主の恵みを背中で示す者としてさせて頂きましょう。ヒデ

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