木曜日, 11月 27, 2014

20141127_イザヤ29 ヨハネ10@1-21

■イザヤ29:15ああ。【主】に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行い、そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう」と。29:16ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ」と言えようか。
★造って下さった方を侮り、むしろその上に立とうする、バビロンへの捕囚を余儀なくされる南ユダの心の表現です。侮る心の災いは、父なる神様の愛と憐れみの心を見えなくさせること。神様はあなたを愛し顧みてくださっています。偽りにだまされてはなりません。

■ヨハネ10:18だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」
★「良い牧者」としてご自身をあらわしたイエス・キリストの言葉です。ここに強いられてではなく、愛を動機として生きるキリストの生き方が記されます。その生き方の向こうは父なる神様による復活です。あなたのためにいのちを懸け、いのちを捨てられた方がおられます。あなたは愛されています。

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