■イザヤ10:12主はシオンの山、エルサレムで、ご自分のすべてのわざを成し遂げられるとき、アッシリヤの王の高慢の実、その誇らしげな高ぶりを罰する。10:13それは、彼がこう言ったからである。「私は自分の手の力でやった。私の知恵でやった。私は賢いからだ。私が、国々の民の境を除き、彼らのたくわえを奪い、全能者のように、住民をおとしめた。
★「私は自分の手の力で……」とは注意すべき表現です。その心の深みには高慢が隠れているからです。まさにアッシリヤに主の裁きが下さった原因です。主は「斧は、それを使って切る人に向かって高ぶることができようか。のこぎりは、それをひく人に向かっておごることができようか。それは棒が、それを振り上げる人を動かし、杖が、木でない人を持ち上げるようなものではないか。」と語られます。
■ヨハネ1:29その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
★バプテスマのヨハネが公に主を紹介した表現です。彼はキリストが誰で、どんな使命の内に世に来られたのかを知っていました。あなたと私の罪を自身の身に負い、十字架にかかり、その罪の代価を自身の命を注ぎ出すことを通して支払うために来られた救い主と。その打たれた傷によって私たちは癒されます。
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