■イザヤ50:8私を義とする方が近くにおられる。だれが私と争うのか。さあ、さばきの座に共に立とう。どんな者が、私を訴えるのか。私のところに出て来い。50:9見よ。神である主が、私を助ける。だれが私を罪に定めるのか。見よ。彼らはみな、衣のように古び、しみが彼らを食い尽くす。
★あなたと共に裁きの座に立たれる方。それが「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。」と、1ヨハネ2:1でイエス・キリストであることが明確に示されます。あなたを陥れようとする、どんな訴えであろうと、主を愛する者のために、「わたしは彼のその罪のためにもいのちを捨てました。彼は私の流したいのちの代価によって、天国に入る権利があります」ととりなしてくださいます。
■1ヨハネ2:28そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現れるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。
★時代の振り子は極端から極端へと振れ、その中で力を持たないお互いは時代の波に翻弄されがちです。しかし聖書は「キリストの内にとどまれ」と語ります。「神様を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」。どの時代にも通用し、これに勝る生き方は他にありません。キリストを通り過ぎることのありませんように。
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