土曜日, 8月 20, 2011

20110820_詩篇51_マタイ23

■詩篇51:10神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。51:11私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。51:12あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。51:13私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
★王ダビデもゆとりの中で過ちを。国のために命懸けで戦うウリヤの妻バテシェバを辱め身ごもらせたのです。その罪をもみ消しバテシェバを妻として迎えますが、そのことを預言者ナタンに指摘されたとき、彼は悔い改め主の前に赦しを乞い上の詩を歌います。今日、主の御声を聞いたなら、心を頑なにしてはなりません。神様は悔いし砕けた魂をさげすまれないお方です。

■マタイ23:29わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、23:30『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。23:31こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。23:32おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
★主が十字架を前に律法学者パリサイ人を痛烈に批判した章です。しかし主の目には涙が。その動機は何とか彼らが悔い改めへと導かれて欲しいとのそれでした。上の御言葉はその中でもとりわけ、自分のことは棚の上に上げて、人の粗をあげつらう生き方への批判です。自分たちも同じ罪を犯しているのに全くそのことには気づいていません。愛は欠けを覆おうとしますが、罪の性質はあげつらおうとさせます。ダビデの砕かれた魂にならいましょう。ヒデ

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