木曜日, 8月 04, 2011

20110804_詩篇31_マタイ7

■詩篇31:4私をねらってひそかに張られた網から、私を引き出してください。あなたは私の力ですから。31:5私の霊を御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました。
★続いて命を狙うサウル王から受ける苦しみの中で読んだダビデの詩です。しかし「私の霊を御手にゆだねます」は、主が十字架の上で最後に語られた言葉でもあります。すなわち聖書は神様の霊感によって書かれた神様の言葉であり、預言の言葉でもあります。それは私たちの生涯においても時にそうした状況に置かれる場合があることと、その時聖書は生きた神様の言葉となって私たちを強めることができるという保証です。人が受けるであろう辛苦をその生涯においてなめられたお方がおられます。あなたは一人ではありません。

■マタイ7:24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。……7:26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。7:27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
★主が山上の説教の結論として語られた内容ですが、人々から最も誤解されて受け取られている聖書の箇所でもあります。問題は神の言葉を人生の土台とするか、しないかではなく、聞いた神の言葉に生きようとするか、しないかです。それによって神様を生けるお方として体験できるか、できないかが分けられ、生涯は全く違ったものとなるのです。神の言葉に生きようとするあなたを助けようと待って下さっている聖霊様があなたの内におられます。ヒデ

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