月曜日, 8月 08, 2011

20110808_詩篇109_マタイ11

■詩篇109:30私は、この口をもって、大いに主に感謝します。私は多くの人々の真ん中で、賛美します。109:31主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。
★ダビデが主に感謝し、主を褒め称える理由をあげています。主は憐れみなく死刑の宣告をされる者のかたわらに立ち、救い出して下さるお方ゆえ。しかもこれは地上の生涯ばかりではありません。人は一度死ぬことと、死んだ後神様の裁きの座に立つことが決まっていますが、そこであなたを永遠の滅びに定めようとするサタンはあなたを訴えます。しかしイエス様はその訴えに対して「父なる神様、しかし彼は私を信じたのです。そして私は彼の罪のためにも十字架で罪の代価を支払ったのです。ですから彼は天国に入る権利があります」と語って下さいます。そしてあなたは永遠の滅びではなく天国に入ります。

■マタイ11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
★どうすれば本当の安息が与えられるのか、ある人たちは誤解しているかも知れません。安息はただ何もしないで休むことによって与えられるものではありません。あなたのことをあなた以上に知っていて下さるお方の語りかけに聞き、負わせて下さる導きを受け取り、そこに生きるときに与えられるもの。主が負わせて下さるくびきは、あなたの命を引き出し、祝福された関係の中であなたが居場所を見いだせるように助けるものです。さあ主のもとに行きましょう。ヒデ

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