金曜日, 6月 24, 2016

20160624_マラキ1 ローマ15

■マラキ1:1宣告。マラキを通してイスラエルにあった【主】のことば。1:2 「わたしはあなたがたを愛している」と【主】は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。「エサウはヤコブの兄ではなかったか。──【主】の御告げ──わたしはヤコブを愛した。
旧約最後の預言者マラキは、ハガイ、ゼカリヤ、ネヘミヤの後、紀元前430年頃働きます。神殿再建から約1世紀が経ち、人々は礼拝への熱心さを失いかけている時です。イザヤやエレミヤ、ミカによる胸躍るようなメシヤ預言が、いまだ成就ざれないことから、無関心と失望感が漂う中での活動でした。紀元前586年のエルサレム陥落をもたらした罪の多くは、依然ユダに蔓延し、マラキは、正しい神とかたくなな民との間に交わされる、視覚に訴えかけるような会話を通して、偽善者たちの罪を指摘しました。

ローマ15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。 15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。15:7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。
ローマ教会は多様な共同体で、ユダヤ人と異邦人、奴隷と自由の民、金持ちと貧しい者、強い者と弱い者から成り立っていました。ゆえにお互いを受け入れることは彼らにとって難しいことでした。受け入れるとは、心の中にだけでなく、家の中、食事や活動を共にし、人種差別や経済差別を排除することをも意味します。

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