★「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」と問うイエス様に、宗教指導者達は自分たちの保身を考え「どこからか知りません」と答えます。人は「私は道であり、真理であり、いのちなのです。」と語られるイエス様に心を閉ざすとき、真理の道も閉ざされます。
■1サムエル15:22するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
★どこまでも自らの面目を保とうと、罪を認めず自らを正当化しようとするサウルに対して、主がサムエルを通して叱責する箇所です。人間の罪深さ情けなさがあぶり出されています。キリストの赦しを感謝し贖いの血潮を仰ぎましょう。
■1サムエル16:7しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
★サウルに代わる王様を、主がエッサイの子の中から立てられると言うので、サムエルはそこを訪ねます。上の御言葉はそこで、長男を見たサムエルが「まさに彼」と思ったとき、主が語られた内容です。主は愛か欲か、動機を見られるお方です。このお方を愛し、悔いなくいのちを注ぎ出しましょう。ヒデ
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