★ルステラでのことです。ある生まれつき足のなえた人で、彼にいやされる信仰があるのをみたパウロは大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と語ったところ歩けるようになりました。さてそれを見た群衆はどうだったでしょう。声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言い、バルナバをゼウスと呼び、パウロをヘルメスとし、いけにえをささげようとしたのです。それを見たパウロとバルナバの反応が上の御言葉です。すなわち自らを決して神とすることのない神を畏れる者としての反応です。あなたならどんな反応をなさいますか。
■使徒15:28聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。15:29すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」
★イエス・キリストを信じたパリサイ派の人々はキリストに回心する異邦人がおこされてくる中、彼らを受け入れるとするなら、割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせなければならないと主張します。そのために教会の指導者の中で激論がおこりましたが、上の御言葉のとおりとなりました。律法は異邦人をキリストに導く為の言わば養育係であり、物差しです。それに自らをあてると当然のごとく足らなさを示されますが、……しなければ裁かれる、ねばならない基準ではありません。教会は人を縛るところではなく、人の心の内に潜み人を縛る律法から人を解放するところです。
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