★主がこの地上に人となって来られ、十字架の上でいのちを捨てられた目的は、私たちを永遠の世界に導きたいゆえです。しかし、そのことに目が開かれていない人は、ややもすればこの目に見える世界が永遠に続くかのごとくに錯覚し、そこに都を築こうとします。主が時にこの天地を震われるのは、愛する者がそれに気づくようにとの愛ゆえです。
■ルカ22:39それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。22:40いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。
★主はこの「いつものように」、「いつもの」とよべる場所があったゆえに、十字架の上で敵をゆるし、迫害する者のために祈り、御心を成し遂げる勝利を得ることができました。十字架の勝利は主と言えども、偶然ではなく、隠れたこのオリーブ山の祈りのゆえでした。あなたにはこの「いつものように」、「いつもの」と呼べる場所がありますか。ヒデ
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