金曜日, 4月 27, 2012

20120427_創世記38-40

■創世記38:1そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。
★ユダも、父ヤコブのヨセフへの溺愛を妬み、空の井戸にヨセフを放り込んだ一人ですが、他の兄弟達が殺そうと行ったとき、それよりもエジプトに向かう商隊にヨセフを売り渡そうと提案します。父のもとには「獣にかき殺されたのでは」と、引き裂き羊の血を塗ったヨセフの衣を示しますが、そののち上の御言葉の通り、ユダは父と他の兄弟の元を離れ天幕を張ります。父の悲しむ姿を見る度に良心の責めを感じ、共にいることが出来なかったのでしょう。罪は人を孤独にし、孤立化させるという真理がここに浮き上がります。

■創世記39:2主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
★この章には「主がヨセフとともにおられたので」が2回記されます。ポテパルの家の僕とされた時と投獄された時です。共通点はどちらも濡れ衣のためです。果たして主がヨセフと共におられたのでしょうか。もちろんです。しかしそれ以上に忘れてはならない事は、ヨセフが主と共にあったのです。主は必ずあなたといつも共にいて下さいます。あなたはどうでしょう。

■創世記40:8ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」
★のちにパロが見た夢を解き明かすことを通して、奴隷らか一夜のうちに宰相に召し出されるヨセフ。唯一濡れ衣を晴らせる献酌官長から忘れられる悔しいところも通ります。しかし神様は夢見る者にその将来を託します。あなたは主にある者として、どんな夢を将来に見ますか。それとも無いものを数え呟くでしょうか。ヒデ

0 件のコメント:

コメントを投稿