木曜日, 4月 19, 2012

20120419_創世記16-18

■創世記16:2サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
★「たぶん」に表されたサライの内面。それは確信のなさです。確信がないのにアブラムに女奴隷を与えようとするその動機は「欲」です。子のないサライの辛い気持ちは誰にも分かりません。それでも欲がはらむと罪となるので、聖書は間違ってはならないと警告します。

■創世記17:1アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
★アブラム夫妻が不信仰の罪を犯してから13年間神様は沈黙を保たれます。そして今この時全能者としてご自身を示されます。神様が下さる恵みは余りに大きく信じがたいゆえに、人は時に受け取り損ねます。それでも与えたいと願われる主の思いがこの形となりました。捨てられたと思えるときも、主は決してあなたを捨てることはなさいません。神様の御声に注意深くなるのです。そして語られたら、信じてそれを受け取るのです。あなたに語られるそのお方は全能者です。

■創世記18:14主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
★旅人と思い彼らを親切にもてなすアブラム。しかしそれは人ではく、祝福するためサラに触れようとした主でした。祝福を与えるために主は思わぬ形であなたの前に姿を現されるお方。表面ではなく、目に見えないものを見る、砕かれた心が問われます。ヒデ

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