■創世記22:2神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
★祝福として与えた約束の子イサク。しかしあまりの溺愛の為、イサクがアブラハム夫妻にとって祝福となっていないことを見てとった神様は、上のようにイサクを献げよと語られます。神様は愛において盲目になる私たちに聖別を与え、本来の祝福へとかえて下さるお方です。
■創世記23:12アブラハムは、その土地の人々におじぎをし、23:13その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」
★妻サラが召された時のアブラハムの態度です。偉大な族長アブラハムゆえにヘテ人は、どうぞお好きな所を自由に墓地として使って下さいと語ります。しかしアブラハムは相当な代価を払いました。信仰がいつの間にか他者の尊厳を尊ぶ畏敬の念を忘れ、甘えになったとしたら……。恐いことです。
■創世記24:14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
★イサクのお嫁さん探しを申し付けられた最年長の僕の考えです。愛を土台とした価値観はどんな時代にもそこに立つ人を幸せにします。ヒデ
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