土曜日, 10月 01, 2011

20111001_1列王21_コロサイ3

■1列王21:27アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。
★ナボデのブドウ畑が欲しくてそれを申し出たイスラエルの王アハブ。「あり得ない」との答えを受けて彼はふて寝してしまいます。それを知った妻イゼベルはどうしたでしょう。ふて寝する夫を諭すのではなく、あなたは「王でしょう」と彼の権威を用いてよこしまな者に「ナボデは神と王を呪った」と言わさせ殺し、「さあナボデは死にました。自分のものにしなさい」と夫に語ります。もちろん悪妻イゼベルは最悪です。しかしそれ以上に幼児性を内に抱えた王アハブも問題です。彼がすべきことは預言者エリヤの指摘で悔い改めるよりもその前に、王として国を守るためにしっかりと立つことでした。結局互いを建て上げる夫婦と言うよりも、利用し合う夫婦だったのです。人はこの自分の内にもつ幼児性に光が当てられ、それに気づき、主による癒やしを受け取る必要があります。

■コロサイ3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
★教会の魅力とは何でしょう。共同体の中で自ら主に赦して頂いた者であることをお互い自覚している故に、愛によって知恵を尽くし、互いに教え、互いに戒め合えることではないでしょうか。比較的相手を受容することは難易度が低いかも知れません。しかし互いに戒めとなるとどうでしょう。遠慮が働き、時を逸してしまうかも知れません。しかし、聖書は互いに戒めです。確かに狭き道、しかし愛が全うされる道を選びましょう。主の愛に応えるために。ヒデ

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