木曜日, 3月 24, 2016

20160324_詩篇135-136 ルカ24@1-27


■詩篇135:15異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです。135:16 口があっても語れず、目があっても見えません。135:17 耳があっても聞こえず、また、その口には息がありません。135:18 これを造る者もこれに信頼する者もみな、これと同じです。

★口があっても語れず、目があっても見ることのできない偶像。不思議です。それを造る人も同じようになるとは。あるいはそもそも見えていないのでそのようになるのでしょうか。これまで自分が造ったもの、築いたものを見ることによって、人は自分が何者であるかを知ることができます。



ルカ24:27それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

まだ霊の目が開かれておらず復活の主を認められない弟子たちのために、復活の主は旧約聖書全体を用いてご自身のことを明らかにされました。すなわち旧約聖書の中にすでにキリストはご自身を示しておられたのです。このことに気づくとき私たちの信仰の視界は主のめぐみによって俄然広げられます。

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