水曜日, 5月 12, 2010

20100512_申命29_イザヤ1_使徒27

■申命29:29 隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。
★この御言葉は29:5 の「私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。」と合わせ、主の御計画も人の心も、こじ開けてはならない領域のあることを覚えさせられます。神でもない私たちが無理にこじ開けようとする時、結果的に全てを失うことがあります。隠されている将来をいたずらに思い煩うよりも、今明らかにされている、行うべき御心に精一杯心を注ぎ出すものであらせて頂きましょう。

■イザヤ1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
★なんと希望に満ちた主の言葉。しかも民の現実を知った上での言葉です。自分を誤魔化さず正直に主の前に出るなら、私たちは真っ白な人生を主にあって何度でもやり直せるのです。ハレルヤ。

■使徒27:13 おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。
★カイザルの前における公平な裁判を望んだパウロ搬送の船旅です。都合良く暖かい所で冬を過ごしたいと考えた船長達は、御使から啓示されたパウロの助言を退け船出し、一命をとりとめるものの、一切の持ち物を失う経験をします。ちょうどよいと思いこみたくなる好機が、私たちの人生を狂わせるくせ者の場合があるのです。だまされてはなりません。では、それをどうして見分けますか。明け渡された神の人の心と祈り心以外にありません。そのため我らは心を神様に向けるのです。そんなあなたを主は今日も喜び助けて下さいます。ヒデ

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