月曜日, 7月 13, 2009

20090713_1サムエル26-27 エレミヤ3 マタイ14

■1サムエル26:21サウルは言った。「私は罪を犯した。わが子ダビデ。帰って来なさい。私はもう、おまえに害を加えない。きょう、私のいのちがおまえによって助けられたからだ。ほんとうに私は愚かなことをして、たいへんなまちがいを犯した。」
★以前三千人の精鋭をえり抜きダビデ討伐に出かけたサウルは、洞穴から出た所で、自らの衣の裾だけを切ったダビデが「王よ、私があなたに対する殺意の無いことをご承知下さい」と語ったとき「あなたは私よりも正しい。主が私をあなたの手に渡されたのに私を殺さなかったからだ」と泣きながら語り、殺意をもってダビデを追うことを悔い、止めたはずでした。ところがここでサウル王は再度ダビデ討伐に出かけるのです。上の言葉は、野営している討伐隊の中心で眠っているサウル王のテントの中から槍と水差しだけを取り、丘の上に登ったダビデがサウル軍の将軍アブネルに「なぜお前は王を守るために見張っていないのか」とサウル王への殺意のないことを示した時、サウル王みずから語った言葉です。自己保身の為にダビデ(人)を信じる事が出来なくなったサウル王の姿は何とあわれで惨めなことでしょう。しかし、これが語りかけられる神の言葉がありながらそれを無視し続けることによって、心の深い部分に責めを感じ続ける者が払うことになる代償です。彼に必要なのは敵を追い、攻めることでもなければ、何かに没頭して気を紛らわすことでもありません。ただ神様への真の悔い改めが必要なのです。真に明け渡しきれない罪によって、あるは真に悔い改め切れない生き様によってどれほど多くの人が心の平安を保つことが出来ず苦しんでいることでしょう。サウルを教訓としたいものです。またあなたの回りには訳なくサウル王のようにあなたを傷付けようとするものがありますか。ダビデはその時「主は生きておられる。主は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。」と主の裁きにサウルを委ね、自ら罪を犯すことが無かったのです。イエス・キリストは「世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と語られます。さあ勇気をもって今週も罪に手を染めぬ生き方を全うさせて頂きましょう。主があなたを助けて下さいます。ヒデ

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