土曜日, 7月 04, 2009

20090704_1サム16 イザヤ60 マタイ5

■1サムエル16:6彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思った。16:7しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
★サウルを王位から退けた神様はエッサイの子供達の中にその器を見つけサムエルを遣わしました。長男エリアブを見た預言者サムエルはまさにこの人物がと。しかしその時主が語られた言葉が上の6節のお言葉です。別にエリアブや後から次ぎ次ぎと連れて来られる7人の兄弟たちが悪いと言うのではありません。しかし国を治めるリーダーとなるべき人ではないと言うのです。そして主はダビデに王としての油をサムエルを通して注がれました。なぜダビデが…?それがこのサムエル記のテーマです。そしてそれはまさに神の国を治めるために召し出されたあなたのテーマです。興味を持ってその真理を発見することをお勧めします。

■イザヤ60:1起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。60:2見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。60:3国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
★上の御言葉は平たく言うと。「あなたは自らを誰とこころえ得るか」「あなたは我が誇りの息子、娘ではないか」と言うことです。これは他でもない、あなた自身の自覚の問題です。あなたはこの真理を既に受け取りましたか。遠慮しなくて良いのです。受け取って主の輝きの反映の中に歩みましょう。

■マタイ5:8心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
★ここは有名な山上の説教の一節です。そしてここにキリスト教の本質が。きよいとは単一の意。混ざりものではないと言うこと。すなわちキリスト教はお参りの宗教ではなく、信じた所に従って生きるもの。だから神様の奇蹟を拝し、神様が生きておられることを体験できると言うのです。生きましょう。あなたのために全ての事を成し遂げて下さる主を信じて。ヒデ

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