水曜日, 5月 09, 2012

20120509_出エジプト22-24

■出エジプト22:2──もし、盗人が、抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んだなら、血の罪は打った者にはない。22:3もし、日が上っていれば、血の罪は打った者にある──盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし彼が何も持っていないなら、盗んだ物のために、彼自身が売られなければならない。
★約束の地カナンに向かうイスラエルの民の中に問題が生じた場合の一つの基準を主がモーセを通して示されます。起こってくる内容はさまざまであっても確認されることは同じです。他者に危害を及ぼしたものの動機は故意か偶然か。故意の場合は厳しく、それ相当に償いが求められ裁かれますが、故意でない場合は寛大な対応をしなければならないということです。

■出エジプト23:6あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。23:7偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。23:8わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。

■出エジプト24:12主はモーセに仰せられた。「山へ行き、わたしのところに上り、そこにおれ。彼らを教えるために、わたしが書きしるしたおしえと命令の石の板をあなたに授けよう。」
★主は約束の民のためにはご自身のことばを必ず授けて下さいます。かつては石の板にでしたが今はあなたの心に刻みつけて下さいます。「登って来なさい」と語られる時、ひとりになることを躊躇せず主の前にでましょう。世々の聖徒はそこで細き主の御声にあずかり、主の臨在によって輝く生涯へと移されました。ヒデ

火曜日, 5月 08, 2012

20120508_出エジプト19-21

■出エジプト19:17モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。
★モーセがシナイ山で主から十戒を授かる前の話ですが、ここに神様に仕える働き人の歩みが。多くの人は実際の生活の安定を求めて、宿営に留まることを願うのかも知れません。変化よりむしろ安定への願いが強い場合があるからでしょう。しかし主に仕える働き人は、更なる祝福を民が主から受けとれるようにと召されます。人々は新約の祭司とされたあなたの生き方を見ています。

■出エジプト20:2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
★モーセがシナイ山の頂きで主から受けとった10の戒めの一つです。主は神様との関係と隣人との関係について戒めを与えられましたが、イエス様は、新約時代これを二つに集約されます。すなわち、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛せよ」です。そしてこの戒めは今の時代にも効力を持っています。

■出エジプト21:24目には目。歯には歯。手には手。足には足。……21:26自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。
★主から十戒を授かった民としての人の道を、主はモーセを通して語られます。「目には目を」とは人を悪意なく傷つけてしまったものが守られるようにとの戒めです。人の欲と憎しみは時に際限なく増殖します。神様はそうした力で神の民が動くことを願われないのです。いつの時代も自分の罪深い自我を十字架に付けて、人間関係を築くようにと主は願われます。ヒデ

月曜日, 5月 07, 2012

20120507_出エジプト16-18

■出エジプト16:2そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。16:3イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
★荒野で上の様な不信の言葉を民が語った時、主はイスラエルの日ごとの糧のために、天から「マナ」を降らせて下さいました。同時に民はこの恵みの中で試されます。神様に信頼するか否か。主は人のつぶやきを赦されました。人が自分自身どの様なものか深く理解させて下さるために。高ぶりと、不信の愚かさに気づく人は自分自身を救います。

■出エジプト17:11モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。
★アマレク人との戦いの一コマです。主はこれを記録として書き記せと命じられます。もちろん大切な教訓だからです。主はあなたの祈りを聞かれます。

■出エジプト18:17するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。18:18あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。
★重荷を負い合うことの尊さを主はイテロを遣わしモーセとイスラエルの民に諭させます。結果、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長が召し出され民に仕える事となります。あなたは一人で多くを抱えすぎて、見るべきものを見れない状況になっていませんか。ヒデ

日曜日, 5月 06, 2012

20120506_出エジプト13-15

■出エジプト13:19モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。
★いかにヨセフによってエジプトが飢饉から守られたことか、しかしそのことを知らない新しい王が生まれてから、イスラエルは400年間の奴隷生活をエジプトで強いられます。そんな中にあってもイスラエルの民を支えたのが、まさにこのヨセフの遺言でした。あなたの残りの地上の生涯が、このメッセージを深く刻み続けるものでありますように。

■出エジプト14:13それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
★前には紅海、後ろはエジプトの戦車と、逃げ場を失ったイスラエルの民は、呪いとも言うべき苦々しい言葉をモーセにぶつけます。その時主が語られた言葉、それが上の御言葉です。時代は変わっても選びの民を絶対絶命の状態から救われるお方は変わりません。静まって主の救いを見る信仰に立ちましょう。

■出エジプト15:25モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
★一本の木とは、やがてのキリストの十字架を象徴します。十字架は投ぜられるそこを人が生きることのできる地とします。ヒデ

土曜日, 5月 05, 2012

20120505_出エジプト10-12

■出エジプト10:23三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。
★心頑ななパロに対して神様が次にモーセに命じられたことは、エジプト全土を闇で打つことです。しかし不思議、イスラエルの人々の住むゴシェン地には光があったのです。死を意味する闇を極端に嫌うエジプトの中で一際神様の臨在の輝きが際立ちます。

■出エジプト11:4モーセは言った。「主はこう仰せられます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。11:5エジプトの国の初子は、王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。11:6そしてエジプト全土にわたって、大きな叫びが起こる。このようなことはかつてなく、また二度とないであろう。』
★なぜこれほどの試練を経験しなこれば、パロはイスラエルを去らせることが出来ないのか。ここに人の罪深さの現実が描かれます。イエス・キリストが成し遂げられた救いによって自我を十字架につける恵みが開かれたことを感謝しましょう。

■出エジプト12:13あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
★「鴨居に塗られた血を見て私は過ぎ越す」。その意味は裁き済みとの意です。信仰によってイエス・キリストを受け入れたあなたの全身にはキリストの血が塗られています。ゆえに神の御前における裁きの日においても、あなたは守られるのです。ヒデ

金曜日, 5月 04, 2012

20120504_出エジプト7-9

■出エジプト7:3わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。7:4パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きなさばきによって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。
★エジプトの王パロは、主がモーセとアロンを用いて杖をヘビに、ナイル川の水を血に変えたとき、呪法師を用いて同じ事をなし、心を頑なにします。結局、主によらなくても私でもできるというのです。主の前でも、自らの損益に支配され、心頑なにする人の姿がパロの存在を通して浮き彫りとなります。

■出エジプト8:15ところが、パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。
★今度はカエルとぶよの災いが、主の前に心頑ななパロの上に臨みます。そして彼の特長は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。そしてこの箇所のもう一つの特長はイスラエルとエジプトの民の間を区別して救いを置くと神様が宣言なさったことです。その救いは今あなたの上にも注がれています。

■出エジプト9:7パロは使いをやった。すると、イスラエル人の家畜は一頭も死んでいなかった。それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった。
★心頑なになるパロ。「……。それでも」でしょうか。「それだからこそ」でしょうか。状況がどうであれ、いえ悪くなれば悪くなる程に従いたくない。それがまさに強情の特長です。その結果、パロは最愛の息子を失います。自分は神様に取って変われない。この真理を心の底から受けとることが求められているのです。ヒデ

水曜日, 5月 02, 2012

20120503_出エジプト4-6

■出エジプト4:10モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」4:11主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。
★エジプトから民を脱出させた指導者モーセ。しかしモーセといえども恐れや、弱さのない人ではありません。人を強くされるお方は神様です。神様はあなたにも、あなたでなければなし得ない使命を与え、あなたを強く支えて下さるお方です。

■出エジプト5:2パロは答えた。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
★「イスラエルを去らせよ」とのモーセの言葉に「主とはいったい何者か。私は主を知らない」とはエジプトの王パロの言葉です。いえ彼の本音は「私こそが主である」でした。しかし人はたとえどんな王国を築くことのできる王であっても、主にとって変わることはできません。結果パロは紅海の底に沈むのです。主を知ることに富む者でありましょう。

■出エジプト6:29主はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしがあなたに話すことを、みな、エジプトの王パロに告げよ。」6:30しかしモーセは主の前に申し上げた。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」
★神様にお仕えするために召し出された者が心に留めるべき教訓です。自分を見たら神様の使命を果たすことはできません。成し遂げさせて下さる主を仰ぐのです。ヒデ

20120502_出エジプト1-3

■出エジプト1:6そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。1:8さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
★結果イスラエルの苦難の生活がエジプトの地で始まります。しかしエジプトがイスラエルを虐げるようになった動機を見ますと「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」と、恐れと貪欲であることが分かります。恩を忘れる人になってはなりません。自分の内にある恐れの為に力で相手をねじ伏せる人になってはいけません。

■出エジプト2:10その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。
★多産のイスラエルを恐れたパロは男の子なら殺せと命令します。3ヶ月目となり隠しきれなくなったレビ人が赤子をナイル川に流した時、それをパロの娘が拾い上げるとは。乳母(実はモーセの産みの母)によって成長したヘブル人が王女の息子となったのです。その名はモーセ。

■出エジプト3:9見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。3:10今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
★何のためにモーセはナイル川から引き出されたのか。このことのためです。主はまたあなたをもこの世から引き出されました。ヒデ

火曜日, 5月 01, 2012

20120501_創世記48-50

■創世記48:21イスラエルはヨセフに言った。「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。
★父ヤコブが危ないと知らされたときヨセフは二人の息子を連れて父の元を訪れます。そこでヤコブはヨセフの子マナセとエフライムを祝福し、ヨセフに希望を与えます。すなわち約束の地であり、先祖の地であるカナンへの帰還です。あなたは大切な人の為にどんなメッセージをもっているでしょう。その為にどのように神様からの語りかけに耳を傾けているでしょう。

■創世記49:1ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。
★ヤコブの息子達への遺言が語られる章です。神様から託された12人の子供達への預言と、自らの願望を語ります。神様は確かにアブラハム、イサク、ヤコブと、ご自身の立てた選びの器を用いてみわざを進められました。それが証拠にここで預言されることがことごとく成就するのです。「押しのける者」ヤコブを召しだし、神の皇太子「イスラエル」と定められた神様のご計画がここに完成します。そして神様はあなたの人生も必ず完成へと導かれます。

■創世記50:24ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」50:25そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。
★人生いかに生きたか、そして何を残すか。人は生きたようにしか死ねません。ヨセフはここで希望を残します。それが神様と共に歩んだヨセフの生き様でした。ヒデ

月曜日, 4月 30, 2012

20120430_創世記46-47

■創世記46:30イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」
★息子ヨセフと20数年ぶりに再会した父ヤコブのことばです。アブラハム、イサク、ヤコブの神は再会を与える神であり、親子の絆を深め、兄弟の関係の修復のために助けをお与え下さるお方です。しかもこのお方は、ヤコブがエジプトに向かう前、ヤコブに平安を与えようと46:2神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい。ここにいます。」46:3すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。46:4わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」と励ましてくださるお方です。
 
創世記47:25すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」
★激しい飢饉の中でエジプト人のいのちを守ったヨセフに対する飢饉が終わったあとのエジプト人の言葉です。ヨセフはこの時「私は、今、あなたがたとあなたがたの土地を買い取って、パロのものとしたのだから。さあ、ここにあなたがたへの種がある。これを地に蒔かなければならない。収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなければならない。」と励ましたのです。主の憐れみを受けた者として、ヨセフのように憐れみ深い者でありましょう。ヒデ

日曜日, 4月 29, 2012

20120429_創世記43-45

■創世記43:14全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」
★最初に子供達がエジプトに食料を買いに行ったあと、本来ならば更に2回、3回と買いに行かなければ、部族の命が保たれない状況にありました。しかし父ヤコブはなかなか末の息子ベニヤミンを同行させる決心が着きません。やっとのことで決心したヤコブの言葉が上の言葉です。「失うときには、失う」と。しかしこの明け渡しを通してまさかシメオン、ベニヤミンのみならず、ヨセフさえも取り返すことになるとは。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ……」の御言葉は、こうした場面でも真実な神様の言葉として働くことに驚きです。

■創世記44:16 ユダが答えた。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯を持っているのを見つかった者も、あなたさまの奴隷となりましょう。」
★かつてヨセフをエジプトに売ってしまったことを後悔し、その後家族のもとを離れて住んでいたユダの言葉です。彼はかつてのことを単に後悔したのではなく、悔い、かつ改め、シメオンとベニヤミンのことを悔い改めました。

■創世記45:8だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
★ヨセフの神様への確信のことばです。「今私がここにこうしてあるのは、あなた方によるのではなく神様による」と。ヨセフはどんなことがあっても自分の人生を神様以外に投げ出すことはしませんでした。さてあなたは。ヒデ

土曜日, 4月 28, 2012

20120428_創世記41-42

■創世記41:39パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。41:40あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」
★自らが見た夢をヨセフに語ったエジプトの王パロ。そのヨセフの夢の解き明かしに、確かに神様を感じます。それが上のパロの言葉となって現れます。一夜のうちに奴隷から宰相という、思いも寄らない展開をもって、神様はヨセフを高く引き上げられたのです。まさに「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(1ペテ5:10)の実現です。あなたをその所で練り上げ、やがて高くされるのは主です。

■創世記42:21彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」
★飢饉のためカナンの地より食料を買い求めにやってきたヨセフの兄たち。まさか自分たちがかつてエジプトに売ったヨセフが、今や宰相となって穀物の販売の一切を取り仕切っているとは。それを知らない兄たちですが、ヨセフから「あなた方は間者だ」と言われたとき、上のように語るのです。兄弟どうし、それぞれ今までヨセフのことを言葉に出すことはなかったでしょう。しかし重荷としてずっと心の内に抱えていたのです。さて神様はのその重荷をどのように取り除いて下さり、かつイスラエルを救われるのでしょう。明日に続きます。ヒデ

金曜日, 4月 27, 2012

20120427_創世記38-40

■創世記38:1そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。
★ユダも、父ヤコブのヨセフへの溺愛を妬み、空の井戸にヨセフを放り込んだ一人ですが、他の兄弟達が殺そうと行ったとき、それよりもエジプトに向かう商隊にヨセフを売り渡そうと提案します。父のもとには「獣にかき殺されたのでは」と、引き裂き羊の血を塗ったヨセフの衣を示しますが、そののち上の御言葉の通り、ユダは父と他の兄弟の元を離れ天幕を張ります。父の悲しむ姿を見る度に良心の責めを感じ、共にいることが出来なかったのでしょう。罪は人を孤独にし、孤立化させるという真理がここに浮き上がります。

■創世記39:2主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
★この章には「主がヨセフとともにおられたので」が2回記されます。ポテパルの家の僕とされた時と投獄された時です。共通点はどちらも濡れ衣のためです。果たして主がヨセフと共におられたのでしょうか。もちろんです。しかしそれ以上に忘れてはならない事は、ヨセフが主と共にあったのです。主は必ずあなたといつも共にいて下さいます。あなたはどうでしょう。

■創世記40:8ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」
★のちにパロが見た夢を解き明かすことを通して、奴隷らか一夜のうちに宰相に召し出されるヨセフ。唯一濡れ衣を晴らせる献酌官長から忘れられる悔しいところも通ります。しかし神様は夢見る者にその将来を託します。あなたは主にある者として、どんな夢を将来に見ますか。それとも無いものを数え呟くでしょうか。ヒデ

木曜日, 4月 26, 2012

20120426_創世記35-37

■創世記35:3そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」
★降りかかった災いを通して、かつて神様と約束した地へと、出で立つことになったヤコブ。そのことを通して部族全体に聖別が与えられることに。あなたは留まるべき所でない所に留まっていることはありませんか。御使いが天より上り下りし、あなたに語り、あなたを助けるその所であゆむ人は幸いです。

■創世記36:6エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へ行った。
★兄エソウの弟ヤコブへの思いやりを感じます。エソウは争うことなくヤコブにカナンの地を譲るのです。そんなエソウをヤコブ同様、神様は覚えておられます。あなたはゆずれる人ですか。押しのける人ですか。多くの人の隠れた善意によって今日ある恵みを感謝しましょう。

■創世記37:3イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
★エジプトで宰相となったヨセフ物語の始まりです。イスラエルとなった父ヤコブのヨセフへの溺愛が他の兄弟たちに憎しみをもたらし、家族に思わぬ災いをもたらします。どこまでも神様の恵みと憐れみなくしては、どうにもならない自分の姿とだぶります。完全なのでイスラエルとされたヤコブなのか。そうではなく神様の選びと恵みによってイスラエルとされるヤコブなのか。なお完成に向けたヤコブの人生は続きます。ヒデ

水曜日, 4月 25, 2012

20120425_創世記32-34


■創世記32:27その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
★いよいよ兄エソウの待つ生まれ故郷に向かうヤコブ。どれほどの財を蓄えたかを誇り、僕の数の多さでエソウを威圧し、その口を塞ごうとします。しかしエソウは、昔から変わらないそのヤコブの横柄さに触れ激怒し、迎え撃とうと備えます。恐れたヤコブは、どんなことが起こっても自分は助かるようにと、自らを隊列の一番最後としますが、不安を拭うことができません。そんなヤコブに主が触れられ、はじめて自分の口で「ヤコブ」、「私は押しのけるものです」と彼は語るのです。自我の砕きです。ここからヤコブの生涯がイスラエル(神の皇太子)のそれへと変えられます。あなたは自分の横柄さ罪深さを素直に認めることができますか。

■創世記33:3ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。33:4エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
★砕かれたヤコブは隊列の先頭に立ち、エソウの前に遜ります。変えられたヤコブです。それを受けたエソウの姿が上の御言葉です。エソウのわだかまりがヤコブの遜りによって取り除かれました。仲のよい兄弟の姿はいつの時代も麗しいものです。

■創世記34:2すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕らえ、これと寝てはずかしめた。
★本来留まるべき所でない所に留まったヤコブ家族に災いが。ヤコブの娘ディナが先住民の族長の息子によって辱められたのです。怒りに駆られたヤコブの息子たちは男たちを皆殺しに。しかし周りの部族の憎まれ、結局その地に留まることができず、出で立ちます。ヤコブに対する神様の憐れみ、配剤を感じます。ヒデ

火曜日, 4月 24, 2012

20120424_創世記30-31


■創世記30:1ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉を嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。」
★ヤコブの妻となったルベン伯父さんの娘たちレアとラケル。いつのまにか夫不在の戦いが。本来子供は、夫と共に神様の恵みを感謝し、将来のために、更に心を合わせて祈る機会を与え、夫婦の絆を深めるもの。ところがレアとラケルは子供も夫もそっちのけで、自分たち二人だけに関心を向けさせられ、醜い女の戦いを展開させます。
では本来リーダーシップをとるべき夫ヤコブもアダムの子孫として、問題解決のために行動するかというならそうではなく、無関心を装い、むしろ不正をしてもルベン叔父さんの家畜よりも自分の家畜の数を増やそうと功績主義に走ります。神様の選びのヤコブファミリー、しかし確かにおかしいです。さて神様はこの家族をどのように祝福を受け継ぐ基となさるのでしょう。これからの展開が楽しみです。

■創世記31:53どうかアブラハムの神、ナホルの神─彼らの父祖の神─が、われわれの間をさばかれますように。」ヤコブも父イサクの恐れる方にかけて誓った。31:55翌朝早く、ラバンは子どもたちと娘たちに口づけして、彼らを祝福した。それからラバンは去って、自分の家へ帰った。
★生まれ故郷に帰ろうとするヤコブ。そこに恨み辛みの思いが違いに残るヤコブと伯父ラバン。しかし神様は別れの際に互いに祝福し合えるように恵みをもって導きます。ラバンへの「私はあなたがたに害を加える力を持っているが、昨夜、あなたがたの父の神が私に告げて、『あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ』と言われた。」とは、まさに隠れたところで働く神様の恵み。この恵みに支えられ今日も生かされているお互いです。ヒデ

月曜日, 4月 23, 2012

20120423_創世記27-29


■創世記27:13 母は彼に言った。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」
★夫イサクが長男エソウを祝福すると語ったとき、妻リベカは次男ヤコブにその祝福を受けさせようと策略します。恐れを抱くヤコブに母が語った言葉が上の言葉です。家族が一つでないこと、これこそが呪いを世に生み出す苗床です。目指す目標は正しくても、間違った方法でそれを得ようとすると、憎しみが憎しみを呼びます。まず一つとなれる様にお祈りしましょう。

■創世記28:15見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
★兄エソウの怒りを避けて、母の生まれ故郷に逃げようとするヤコブが途中、荒野で見た夢です。ただ驚くべきは「神様の選び」。神様がヤコブを祝福すると宣言なさったのです。そこにはその祝福を受け取るに相応しい者に練り上げて下さる計画もセットです。その恵みの中で彼は、ヤコブ(押しのける者)からイスラエル(神様の皇太子)へと、呼ばれるに相応しく整えられるのです。あなたもその為に神様によって選ばれ召し出されました。

■創世記29:25朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。」
★母リベカの生まれ故郷の叔父さんの家に養われることになったヤコブ。ことの次第を知って受け入れられたヤコブですが、ラバン叔父さんにだまされます。人はこうした形をもっても蒔いたものを刈り取るのですね。心砕かれ、悪から離れ、遜った人生を歩む人は幸いです。ヒデ

日曜日, 4月 22, 2012

20120422_創世記25-26

■創世記25:28イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。

★この後イサクとリベカの二人の息子エソウとヤコブの間には悲しい溝が生まれてしまいます。二人の息子の個性の違いを喜び、それを肯定的に評価していたならば……。しかしそれが出来ないことが人間の性、罪深さです。その結果をこのイサク・ファミリーはこれから刈り取って行くことに。しかしその中にも神様の憐れみの御手は鮮やかで、かつこの家庭から離れることはありません。自らの内に巣くう原罪、罪深さに涙し神様に憐れみを求める人は幸いです。しかし現実、多くの人は、その強さの中で、立ち止まることなく押し切って行ってしまうのです。残念です。



■創世記26:6イサクがゲラルに住んでいるとき、26:7その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は、「あれは私の妻です」と言うのを恐れて、「あれは私の妹です」と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。

★あらあら不思議、どこかで同じような話を聞いたことがありませんか。そう、イサクの父であるアブラハムが、自己保身のためにエジプトに下るとき(12:11-)と、ゲラルの王アビメレク(20:2)前で妻サラのことを妹と偽った態度と同じです。罪は侮るべきではありません。家系の人格的弱さ、罪深さは残念ながら、こうした形となって流れます。流される愛に偽りが混じり込んでいるからです。だから救いが必要なのです。蒔かれた家系の呪いをせき止め、祝福の命を流すためにキリストはあなたのために十字架の上で命を捨てて下さいました。さあ躊躇するこの愛の中に飛び込み、キリストの愛と血潮によって洗い清めて頂くのです。ヒデ

土曜日, 4月 21, 2012

20120421_創世記22-24

■創世記22:2神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
★祝福として与えた約束の子イサク。しかしあまりの溺愛の為、イサクがアブラハム夫妻にとって祝福となっていないことを見てとった神様は、上のようにイサクを献げよと語られます。神様は愛において盲目になる私たちに聖別を与え、本来の祝福へとかえて下さるお方です。

■創世記23:12アブラハムは、その土地の人々におじぎをし、23:13その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」
★妻サラが召された時のアブラハムの態度です。偉大な族長アブラハムゆえにヘテ人は、どうぞお好きな所を自由に墓地として使って下さいと語ります。しかしアブラハムは相当な代価を払いました。信仰がいつの間にか他者の尊厳を尊ぶ畏敬の念を忘れ、甘えになったとしたら……。恐いことです。

■創世記24:14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
★イサクのお嫁さん探しを申し付けられた最年長の僕の考えです。愛を土台とした価値観はどんな時代にもそこに立つ人を幸せにします。ヒデ

金曜日, 4月 20, 2012

20120419_創世記19-21

■創世記19:17彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
★そこに住む人々の罪と不品行のためソドムとゴモラが滅ぼされようとする時、御使いはアブラハムの甥ロト一家を救おうと、彼らの前にあらわれ、上の御言葉のように語ります。しかしロトの妻は振り返り塩の柱となりました。なぜ彼女は振り返ったのでしょう。神の言葉によって生きるか、欲に動かされて生きるか問われます。

■創世記20:11アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。20:12また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
★自己保身から同じ失敗を繰り返すアブラハム。この時も妻サラのことを妹と語り、妻サラを犠牲にして、ゲラルの王アビメレクの前を切り抜けようとします。神様は繰り返される失敗、惨めさの中で人に霊的渇きを起こし、また罪深さに気づきを与えようとなさいます。人から言い分けが止み、神様の憐れみをその人が求め始めるとき、それが癒やしの始まりです。

■創世記21:1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。21:2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
★アブラハムとサラとの間に交わした約束に忠実な主は、アブラハムの子孫であるあなたにたいしても忠実なお方です。主はご自身が声を掛けられたあなたを決して忘れてはいません。それは今日一日もです。ヒデ