月曜日, 8月 13, 2018

20180814_詩篇120

■ 6私は、久しく、平和を憎む者とともに住んでいた。
7私は平和を--、私が話すと、彼らは戦いを望むのだ。
★ 平和は、いつも受け入れられるわけではありません。ある人たちは、自分が信じるもののゆえに戦うことを好みます。戦いの栄光は勝利の望みにありますが、誰かが敗北者とならなければなりません。平和のために調停を行う人の栄光は、共に勝者と導くことです。調停は神様の方法なので、私たちは用心深く、祈り深く、調停に心を砕くべきです。さあ、「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5章20~21節)のみ言葉にも励まされつつ一日を始めましょう。今日も一日いい日ですよ。

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