■レビ記10:17「どうして、あなたがたは聖なる所でその罪のためのいけにえを食べなかったのか。それは最も聖なるものなのだ。それは、会衆の咎を除き、【主】の前で彼らのために贖いをするために、あなたがたに賜ったのだ。10:18その血は、聖所の中に携え入れられなかったではないか。あなたがたは、私が命じたように、それを聖所で食べなければならなかったのだ。」
★「食べる」とは新約の祭司であるクリスチャンの立場においては、「受け取る」との意味でしょう。すなわち、「どうして民の汚れのために祭司としてその重荷と痛みを受け取り、主の前に執り成しをしないのか、無関心であろうとするのか」の意味です。主に立てられた教会として、それぞれ遣わされたところで世の塩として生きましょう。
■1コリント16:13目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。16:14いっさいのことを愛をもって行いなさい。
★パウロは主日のみならず、こうした表現を通して人生が礼拝であることを教えています。今日も神様を畏れて歩みましょう。いってらっしゃい。
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