火曜日, 1月 18, 2011

20110118_創世31_詩篇35_マタイ20

■創世記31:36そこでヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに口答えして言った。「私にどんなそむきの罪があって、私にどんな罪があって、あなたは私を追いつめるのですか。31:37あなたは私の物を一つ残らず、さわってみて、何か一つでも、あなたの家の物を見つけましたか。もしあったら、それを私の一族と、あなたの一族の前に置いて、彼らに私たちふたりの間をさばかせましょう。
★ここに押しのける人ヤコブの性質が如実に表れます。伯父ラバンのもとを逃げるように出で立ったヤコブ。その時ヤコブの妻ラケルはヤコブに内緒で、父ラバンが占いに使うテラフィムを盗んでいたのです。結局ラバンはラケルが隠し持っているテラフィムを見つけることができません。その時ここぞとばかりに訴えているのが、このヤコブの姿です。自分に非のないのがわかり、相手の間違いを容赦なく責め立てるヤコブ。まさにこれが押しのける者の性質。そして恐れに心が捕らわれている人、ヤコブの姿でした。神様はそのヤコブを、神の皇太子へと造りかえられるのです。主の御名は、ほむべきかな。

■詩篇35:1主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。

■マタイ20:12言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』20:13しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。20:14自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
★たとえどんな人であれ精一杯生きようとする人には1日1デナリ。即ち人が生きて行く上で必要なものは得られるべきである。「私はそうしてあげたいのだ」。最も辛く悲しい立場の人にとって、この主の発言はどれほどの慰めでしょう。この主のお心のゆえに私たちは主を誇り、その心を自らのものとさせて頂きたいのです。あなたの辛いときにも、主はそう語って下さいます。ヒデ

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