金曜日, 3月 11, 2011

20110311_レビ19_詩篇119:81-128_ルカ2

■レビ19:9あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。19:10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
★「私を一体誰だと思っているんだ。」とあなたは言いたくなるときがありますか。そしてどんな時にそう言いたいですか。神様の場合は上の御言葉のように、あわれみを軽んじる場合です。知って下さい。神様の何よりのご性質はあわれみ深さです。そのあわれみによってあなたも救われるのです。だからこそ主は、「あなたもかつてはエジプトの地で在留異国人だった」と諭すのです。あなたの人格の深いところで、あわれみ深さが増し加えられますように。

■詩篇119:119:92もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。
★残念です。自分の神学の構築の為に、好みの御言葉だけを選り好みし、結果、癒し主、救い主たる「神なるキリスト」を捨て去って、自らを混沌の中に追いやる人のあることは。自らの救いと癒しのために、みことばの全体を受け取りましょう。その時神様の力はあなたの内に臨むのです。

■ルカ2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
★王宮か神殿でこそ生まれるにふさわしいキリスト。そのお方がなぜに家畜小屋の飼い葉桶に。その答えはこうです。王宮ならば限られた人しか願っても入ることは出来ません。しかし家畜小屋なら、その人自身が遜るなら誰でもキリストを拝するため近づくことが出来るのです。キリストを主なるお方と崇め近づき命に満ち溢れさせて頂きましょう。ヒデ

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