月曜日, 2月 27, 2012

20120227_1コリント13-14

■1コリント13:1たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。13:2また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。13:3また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
★異言によって御使いと語ることができる。山を動かす完全な信仰を持っている。聖書知識において他者の追従をゆるさないものを持っている。慈善奉仕に心を砕いている。凄いことではないですか。確かにそのように感じます。しかし御言葉ははっきりと、「愛がなければ一切は無益、何の役にもたたない」と語っています。「何の役にも」です。意味がないのです。さて一度しかないあなたの人生を後悔しないため、まず求めるべきものは何でしょう。

■1コリント14:37自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。14:38もしそれを認めないなら、その人は認められません。
★主の弟子パウロが教会の徳を高めるために、預言や異言について解き明かす箇所です。初代教会においてはこれらの賜物が豊に用いられ、ひとりびとりが生かされていました。礼拝のスタイルもこの箇所と比較すると現代の方が形式的になっているようにも思います。初代教会の自由さの秘訣は何でしょう。その答えが上の御言葉です。それぞれが神様の主権を認め、その語りかけに従っていたのです。真の自由とは無秩序、放縦とは対局にある解放です。神様を畏れることを通して、神様から認められ、人にも認められる人生を選び取りましょう。ヒデ

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